木綿 ひとくちメモ

その1・・・綿について
その2・・・晒し木綿
その3・・・木綿繊維の種類
その4・・・木綿繊維と合成繊維の違い
その5・・・ガーゼとは
その6・・・日本の木綿の歴史
その7・・・知多木綿と尾州廻船
その8・・・木綿繊維とアトピー性皮膚炎


<その1>

綿について

綿

学名:Gossypium
英名:cotton
和名:ワタ[綿]
原産国:熱帯アジア・熱帯アフリカ
花言葉:偉大さ
アオイ科ワタ属の総称

 多くは一年草ですが、わずかに低木性のものもあり、約40種で構成され、熱帯地方原産のものも多いですが、温帯地方でも広く栽培されています。繊維作物として広栽培され、油料にも利用されます。繊維として利用されるのはしゅしに生じた毛で、ほとんど純粋にセルロースから出来ている中空な単細胞で、その長さは種類によって異なり、9〜51mmの違いがあります。また、ねじれやすくて紡績に向くものと、ねじれの度合が小さく、脱脂綿や詰め綿に利用されるものもあります。

歴史

 ワタは繊維作物として最も古い歴史をもつもので、インドでは紀元前2500〜1500年頃の遺跡であるモヘンジョダロから金属器に付着した綿布が発見されています。<リグ・ベーダ>にもワタの記載があり、紀元前からワタが利用されていたことがわかります。インドに次いで、ワタが栽培されたのはアラビアで、ヨーロッパにワタの種子が伝えられたのはアレクサンドロス大王の東征に(前327)によります。エジプトは現在ワタの主産地の一つですが、現在のエジプトメンの栽培は13〜14世紀に栽培が始まったものとされます。
また、南アメリカのペルーのワカ・プリエタ遺跡においてもほぼインドと同時代、前1500年ごろの木綿のレースが発見されているそうです。ブラジルでも古くから原住民により利用されていました。中央アメリカでは前632年にワタが利用されていた記録があるそうです。
 アメリカ合衆国のワタはイギリスがパナマで栽培したインドのワタが1740年ごろにバージニア地方に伝わって栽培されるようになったものです。
 中国へは後漢の57〜75年ごろにインドから綿布がもたらされました。ワタの種子は10世紀に伝えられましたが、当初は観賞用で本格的な栽培は南宋の1125〜62年ごろ始まったそうです。
 日本にワタが渡来した年代は不明で「万葉集」や古書にでてくる綿は必ずしも現在のワタ属の植物をさすものとは断定できないのだそうです。おそらくアシの穂や真綿あるいは靭皮繊維を用いた布と推測されるということです。また、カポックノキまたはパンヤノキと呼ばれるパンヤ科の樹木からとれるものの方が先に中国から渡来した形跡があるそうです。いずれにしろ、日本の衣料作物としてはアサ(麻)のほうが先で、綿が庶民の主要な医療となったのは江戸時代の中期以後のことだそうです。江戸時代には関東以西の各地に栽培され、明治維新後も官営紡績工場ができ、綿の栽培が奨励されましたが、資本主義の発達に伴い、安価な外国産の綿花を大量に輸入するようになったため日本での綿の栽培は衰退の一途をたどりました。綿花はワタ属の植物の花をいうのではなく、種子についている毛、つまり綿のことです。木綿は綿を原料とした織物、つまり綿織物のことで、キワタ(カボックまたはパンヤ)ではありません。真綿はカイコのマユを煮て平面状に引張ってつくった綿で動物性のものです。近世になって木綿を使うようになる前は綿といえば真綿のことでした。

綿は3大天然素材(綿、絹、羊毛)のうちのひとつです

綿の良いところは

・吸水性に富む
・濡れると10〜20%強度が増す
・アルカリや熱に強い
・染色しやすい
・弾力性、伸張性に富む
・繊維断面が中空構造のため、軽く保温性に富み、ソフトな肌触り

このような多くの長所のため、医療用として重宝されてきた綿は、19世紀末から20世紀頭にかけての繊維革命を経て、今もなお人々に愛されつづけています。

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<その2>

晒し木綿


「晒(さら)し」とは、綿や麻の布を晒して、つまり、日光や雨風に当てて、綿や麻の糸や織物を繊維の持つ天然の色素を抜き去り純白にする工程、または、その製品を言います。
晒し木綿は綿布を晒したもので、吸水性や耐洗性があり、そのままで用いることができます。
一昔前まではどこのお宅にもあり、いろいろの用途に使われていましたが、最近は出来合の品が容易に入手できるようになり、遠い存在になっています。
しかし、裂きやすくて長さも幅も調節でき、紐(ひも)、縄(なわ)、布巾(ふきん)、おむつ、よだれかけ、丁字帯(ていじたい)、三角巾(さんかくきん)、包帯等、更には、それのみで災害時の備品として使えます。
止血等の応急処置の際、タオルはとても縛りにくくて役に立ちません!

晒し木綿を災害時の備品として
改めて見直してみませんか!

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<その3>

木綿織物の種類



無着色の白木綿、無地染め木綿、染めた糸で縞(しま)模様を織る縞木綿、型染紙を使って文様染めをする型染木綿や絣(かすり)に分けられます。縞木綿は人気があります。縞織物と同様に人気があるのが絣(かすり)です。縞織物は先染めした二色以上の糸を使い、一定本数ごとに色分けして交互に織ることによって、綿布に縞模様の柄を出すものですが、絣は糸を先染めしてから織るところは同じですが、普通は一色であり、染める際に綿糸の所々を別の糸で堅く、くくって、織ったときに特有な絣模様が現れるようになっています。染色や機織に手数がかかる分、絣は縞木綿より高価です。


縞木綿

備後絣

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<その4>

木綿繊維と合成繊維の違い



木綿繊維には・・
繊維1本1本に細かい穴があります。
        ↓ 
オフィスワークや軽い運動をした場合などの少量の汗による湿気を繊維の細かい穴がとらえて吸収してくれます。しかし、屋外で運動をした場合などの大量の汗をかいた場合には、吸収する限界を超えてしまい処理できなくなります。

合成繊維には・・
繊維に穴はありませんが、特殊加工で溝が作られています。
        ↓ 
オフィスワークや軽い運動をした場合などの少量の汗による湿気は穴がないために吸収しません。しかし、屋外で運動をした場合などの大量の汗をかいた場合には、繊維の溝が毛細管現象を起こして素早く汗を吸い取ってくれます。


室内は木綿肌着、屋外は合成繊維で着分けよう!



参考ホームページ:http://www.pref.kagawa.jp/shohiseikatsu/menu02/html/iryou_11.htm



木綿繊維の構造模式図

合成繊維の構造模型図


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<その5>

ガーゼとは何でしょう?

◎綿の木になる実“コットンボール”から作り出される天然植物繊維の織物

 経(たて)糸・緯(よこ)糸とも甘撚りの糸を用いて粗く織ったきわめて薄手の平織布です。これを漂白精製して用います。薄手で柔らかく、吸湿性に優れているので、包帯などの衛生材料、肌着、産着、ハンカチーフ、タオル地などに利用されています。
 医療用には日本薬局方の規定により、脱脂ガーゼを消毒調整し規定の大きさに裁断されたものが使われます。

◎由来

 アラビア語で“生糸”を意味するgazzに由来するとか、西アジア、パレスチナ地方のGazaで織りはじめられた織物から来ているなど、諸説がありますがいずれも定かではないようです。

ガーゼは何に使われていますか?

 地の薄い粗目の平織で、これを漂白精製して外科医療の処置に用いるほか肌着、ハンカチ、手拭、湯上り、マスク、衣料品、ろ過素材、シーツなど私達の生活のあらゆる分野で使われています。


参考ホームページ: http://www.wata.co.jp/

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<その6>

日本の木綿の歴史

 日本へは8世紀の終わりに三河国にもたらされました。紀伊、淡路をはじめ四国や九州で栽培されましたが、綿の生育は、気温が高く、日照時間が長い所にしか適さないことから失敗に終わりました。15世紀の後半に朝鮮から綿布が大量に輸入されるようになり、16世紀には明からの綿布(唐木綿)の輸入が加わって、上流階級では木綿の着用が流行しました。さらに南蛮貿易によって東南アジア諸国から縞(しま)木綿がもたらされました。
 国内で木綿の栽培が始まるのは16世紀初め頃です。木綿は丈夫で耐久性にすぐれているため、戦国時代の武士たちは幕や旗差物、袴などの衣料に用いられました。需要の増加に伴って三河などで木綿栽培が始まり、またたく間に近畿・関東地方でも栽培されるようになりました。江戸初期には農民の着物も麻から木綿へと転換し、江戸中期になりますと、日本各地で特色のある銘柄木綿が産出されるようになりました。


参考ホームページ:http://www.sengoku-expo.net/text/tf/J/column_momen.html

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<その7>

知多木綿と尾州廻船

 知多木綿の歴史は、江戸初期の慶長(けいちょう)年間(1596年〜1615年)に江戸送りが始まった、と伝えられています。初期には生白(きじろ)木綿として生産され伊勢に送られて「伊勢晒(さらし)」とか「松坂晒」として、伊勢の白子を中心に江戸へ廻船で送られていました。三河の平坂からも送られていました。
 従来、海運では幕府公認の江戸、大阪を拠点として運賃輸送を本業とする菱垣廻船、樽廻船が主流でしたが、増大する商品の流通を担うため、菱垣廻船、樽廻船のみではなく、新に運送だけではなく積荷の売買も行う北前船や尾州廻船などが台頭してきます。
 江戸中期の天明年間(1781年〜1789年)に岡田村の中嶋七右衛門らが晒技術を導入して以来、『知多晒』としての名声が高まり、近年では、知多・松坂・泉州が日本での三大綿織物生産地といわれ、機械の自動化も著しく、消費者の好みに応える高級、高品質の綿布が大量生産され、知多木綿も尾州廻船でも江戸に運ばれるようになりました。尾州廻船とは、尾張藩領内に船主が居住する船のことで、その中に常滑船も含まれ、代表的なものの一つが瀧田家の廻船です。
 尚、瀧田家の廻船は木綿を江戸に送ることに重きを置かず、一方、明治時代初期に廻船業に見切りをつけて木綿問屋を始めたことは、成り行きとは言え興味深いことです。

●参考文献
  知多半島の歴史と現在No.13 曲田浩和・高部淑子
  など

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<その8>

木綿繊維とアトピー性皮膚炎

 アトピー性皮膚炎では、皮膚の角質細胞間脂質が少ないため皮膚の乾燥とバリアー機能の低下を認め、アレルギーの原因物質の皮膚への浸入が容易になり、また外からの刺激に対して弱くなります。

 従って、直接肌に触れるところは化繊、麻、羊毛などの刺激性の繊維などは避けて、吸湿性の高い柔らかな木綿にしましょう。寝具も木綿にしましょう。木綿のものでも縫目のところにナイロンなどが使われてチクチクすることもありときは、縫目を表側にして切るようにしましょう。